アイディア創出マンは「言うが易く」を体現していないか
仕事のアイディアは出す方が偉いのか、実現する方が偉いのか。考える仕事が偉いのか、作業としてこなす仕事は偉くないのか。そういったテーマを考えてみたいと思います。もし同じようなことを考えている人がいたら、意見交換しましょう。
そもそもなぜこのテーマを考えたのか
「新規事業をするぞ」という目的で、「なにをするか」から考えたことがあります。その時の上司はアイディアの力をすごく盲信していているようで、アイディアが優れていれば、すべてを覆すことができると、そうしたアイディアはいつか降って降りてくる、と思っているような言動をする人でした。
アイディアには価値がある、とそう考えているようでした。
しかし、その事業は全くの失敗におわり、なにも手応えを残すことなくプロジェクトは消え去りました。そうした経験から、私はアイディアの価値とは、実現されて初めて発揮するものだと思っています。
頭の中にあるだけのアイディは無価値です。どんなに優れた思いつきでも、今の周りの環境で実現できないのであれば、全く意味がないのではないかと思っています。
そんな私の周りでは、「他セクションからアドバイスを求められ、それに応えた同僚が、アドバイスに関して全く会社から評価されなかったこと」を嘆いていました。。
そんな出来事を耳にしたときに、この「アイディアは出した方が偉いのか、実施した方が偉いのか論争」が(私の中で)始まったのです。
こんなこといいな、あったらいいな。を発信するだけには価値はない
私の答えは前述の通りです。「こんなこといいな」と思いつくことには価値はありません。それを実行して、成果として返ってきて初めて価値が生まれるのです。なので、アイディアを出した方よりは、それを実行したほうが偉いと私は思います。
じゃあ、アドバイスするだけ無駄じゃないか。アドバイス(アイディア)がなければ、それを実行すらしなかったのだから。
その通りです。そもそもアドバイスしただけで、評価をもらおうという考えが浅はかなのではないかと思います。逆に言えば、アドバイスによって成果がでず、評価されるどころか叱責されたら、その責任はアドバイスした側にあるのでしょうか。
その覚悟まであって、アドバイスをしたのでしょうか。
たまたま評価されたから、その評価は私のものだ、と考えているのであれば、なかなかズルイやつですよね。そういう意味でも、アイディアの力は、そのアイディアに責任を持つ側が評価としても受け取るべきなのです。
アイディアの力を過信しすぎてはいないか
そもそも論ですが、働き人の中には、アイディアの力を過信している人がいるのではないかと思います。たったひとつのアイディアで事業が大きく変わるなんてことは、そうそう起こり得ないのではないでしょうか。もしそういう出来事があったとしても、それはアイディアの力だけで、そうなったと言い切れるものでしょうか。もっと運の要素が働いているのではないか、と私は思うわけです。
アイディアの力だ、というのであれば、それを再現することは可能なのでしょうか。たまたまでなく、もう一度、その成果を出すことができるのでしょうか。
ひとつひとつの積み重ねがアイディアのトリガーによって成果につながった、というのであれば、よくわかりますが、なにも積み重ねていない人がアイディアひとつで一攫千金をねらうのだとしたら、それはすごくハードルの高いことだと思います。
色々な見方があると思っているこの論争ですが、現時点の私の考えは「頭をひねっただけでは」意味はないと思っています。それが実行されるまでが非常に大事で、その実行までのアプローチも千差万別。失敗するのか、成功するのかはそのアプローチ次第だと思うからです。
どんなに優れたアイディアでも実行されなければ、それはまさに「絵に書いた餅」ですから。