会社・仕事への文句を会社に伝えることは幸せになるために必要なのかを考えた話
パワハラやセクハラなど労働者を守るようなルールも浸透してきており、会社や上司に不平や不満が言いやすい空気感が、以前よりは強くなって気がします。もちろん正当な防衛方法ですから、そういった悪しき慣習をなくすために立ち上がり声を上げることは大切です。自分の心身を守るためにも。しかし、仕事への不平不満は多くの人が抱えていることでしょう。しかし、それを全て直接、会社に伝えることが本当に幸せに繋がることなのか、ということを考えた話です。
目次
そもそもなぜこのテーマを考えたのか
単純に、周りに会社・仕事に対する不平不満をそのまま会社に伝える人が増えたなと感じる機会が増えたからです。「自分とは違う考えだなぁ」と思ったのですが、そういった人たちがどういったことを考えているのか、少し考えてみたのです。
(私の周りにいる)会社に不平や不満を直接伝える人たちは、それをもって自分たちの都合の良い働き方を実際に実現していました。「私はこれをやりたくありません」「私にはできません」ということを、そのまま伝えているのです。「やれと言われてもやりません」と言われたら、(短期的には?)「評価を下げる」以外のことはできません。
「出世に興味がない」「(社内の)人間関係も興味がない」「最低限の給料でいい」という人に大して「評価を下げる」に効力が少ないため、そうした人は、はっきり不平や不満を伝えたほうが得なのかもしれないな、と感じたのです。
人生の目的は幸せになることである
人生の目的とはなにか、それはざっくりですけど、幸せになること、なのではないでしょうか。もちろんその過程で、いろいろな目標をたてて生活していることでしょう。それは、すべて幸せになるための行動だと思いますし、そうあるべきだと思うのです。
そういう意味だと、会社へ文句をいう人は、そういった行為が幸せに繋がると思っているのでしょうか。
たしかに給料という評価と引き換えに自分の仕事以外の時間は確保しやすそうです。また仕事のストレスも、もしかしら削ることができるかもしれません。そう考えると、きちんと人生設計においての行動・行為なのかもしれません。
目的達成のための判断を下すべきである
幸せとはなにか。という価値観でどう行動すべきかは変わるようです。もし、その会社で出世をしたい。そのために上司に嫌われたくない。と思っているのであれば、会社に対する不満は心に押し込めておくか、同僚との笑い話に留めておくほうがいいケースが多いと思います。
しかし、一時的な会社として捉えていて、やりたい仕事だけできればいい、と考えているのであれば、やりたくない仕事を全力で断るのもいいでしょう。
ただし、それをやりすぎるとやりたい仕事まで回ってこなくなる可能性もなくはありませんよね。
文句たれることで得られる利益は一時的なものではないか
不平や不満を伝えることで、なにを得たいのでしょうか。
たとえば、「やりたくない仕事ばかりで面白くありません!」と伝えて、どうなることを期待しているのでしょうか。たしかにその場では、「じゃあ、これは別の人にお願いするよ」となるかもしれません。
本当にそれだけを狙っているのでしょうか。やりたい仕事だけ、できればそれでいいのでしょうか。
ここにも価値観の違いというものが発生していそうです。
「やりたい仕事だけしていければいい」は確かにそうかも、とも思います。
結論、よく考えたら、どっちも不正解ではない
この記事を書く前までは、正直、「会社に不平不満を伝えるやつって意味わからないし、絶対不利になるだけなのに、バカかな」と思っていたのですが、それはなにを目的にしているか、という価値観の違いだったのかなと思いました。
「会社に不平や不満を伝えてもいい」「むしろ伝えるべきだ」と思っている人も、たぶん大勢いて、そこにはその人たちのそれぞれの正義あるように、今は思います。
むしろ、すべて言いなりになって、すべてを鵜呑みにするほうが間違っているのではとさえ思い始めました。
現時点での私の結論は、どちらも間違いではない、ですが、これはこの先も自分の中の結論が変わっていくテーマのように感じます。
単に人生における仕事の優先度の違いなのかもしれません。「プライベートを優先する」となれば、仕事に関して極力排除していくほうが人生全体の幸福度はあがるでしょう。また好きなことを突き詰めていくことでスペシャルな人材になることも可能です。スペシャルなスキルがあれば、ジェネラリストを目指す必要もないでしょう。スペシャリストとしてその道を突き進めばいいだけです。それが不変的にニーズのあるスキルであればよりいいと思いますし、ジェネラリストが不変的なニーズなのかも怪しい今ですから。